top of page

小説版 鷲巣クエスト

​       著:虚無

序章  胎動

 

 ここは地獄の一角、不喜処(ふきしょ)にある鷲巣邸。
 屋敷の三階に位置する広い広い書斎では、暖炉の炎が暖かに燃えている。本棚に囲まれた、これまた広い広い机の上には、様々な本やら書類やらが所狭しと置かれている。
 その書斎で、鷲巣は豪奢な椅子にふんぞりと腰掛けながら、白服の鬼と事業についてのやりとりをしていた。
「ご苦労。今日の午前中、わしは、この書類を片付けてから農場へ足を運ぼうかと思っておる。
 『共生ニュータウン』への出店希望者の選定は、貴様らに一任するぞっ!」
 『共生ニュータウン』とは、鷲巣が開発と運営をしている街のことだ。まだまだ発展途上ゆえに、毎日のように目まぐるしく仕事があり、その一部を指示したのだ。
「今、渡した紙に選定基準が書いてある。それに従って、作業に当たるようにっ!
 仮に、基準を満たす者が予定よりも超過するようであれば、またわしに報告に来るんじゃぞっ!」
「はっ! かしこまりましたっ!」
 白服の鬼は背筋を伸ばし、ハキハキと返事をする。
「うむ! では、下がって良いぞっ!」
「はっ! 失礼いたしますっ!」
 書斎を後にする白服を見送ってから、鷲巣は「う~ん……」と一人唸る。
「もうちょっと農作物を街に卸したいが……。こればかりは、人口が増えねばどうにもならんか……」
 どうやら、街の管理者として、積極的に事業について思考を巡らせているようだ。悪行で地獄に落とされたとはいえ、その思慮に含まれるのは自分自身の身勝手に限ったことではないらしい。
 と、その時、ドアをノックする音が響いた。
「鷲巣様、よろしいでしょうか?」
 先程とは別の白服の鬼の声だった。鷲巣が「入れっ!」と入室を許可すると、「失礼いたしますっ……!」と緊張感を持った返事で白服が入ってくる。そして、鷲巣の机の前へ来ると、
「『共生ニュータウン』建設工事の、現場報告書をお持ちいたしましたっ!」
 丁度、今し方考えていた現場についての事案だった。
「ご苦労。これを片付けて、目を通そう」
 一言、白服を労うと、鷲巣は右手にある机に顔を向ける。
「そこの机の上に置いてくれれば結構」
「かしこまりました」
 白服は、言われた通りに示された机に書類を置いた。
「それでは、よろしくお願いいたしますっ……!」
「うむっ!」
 そして書斎から白服が退室すると、鷲巣は「ふーっ……」と深い溜息をついた。
「わしも若い頃は、バリバリと自分の足で動いておったが……鈴木や岡本たちがおらんというのも、なんともままならんものじゃのぉ……。
 あいつら、まだ死んでおらんのかっ! つまらんのぉ~っ!」
 ぽつり、生前の記憶を思い返す。しかし、二言目にはやはり自分都合な発言が飛び出すのも鷲巣である。
「まあ、わしの手足として動いておったあやつらが、地獄に落ちぬ……ということもあるまい……っ!
 早くこっちにくれば、また王との暮らしを味わわせてやるというのに! カカカッ!」
 にやり、と悪そうな笑みを浮かべながら、そんな地獄ライフを想像しては高笑いもしてしまうところだ。
 けれど、そこへ書斎の外から情けない大声が聴こえてきた。
「わっ……鷲巣様ぁ~~っ!!」
「あぁ~? なんじゃあ……??」
 許可なく書斎へ飛び込んできたのは、白服ではなく鷲巣に仕えている鬼の一人だった。鬼は大慌てで鷲巣の前へやってくると、身振り手振りで緊急事態を告げる。
「わっ、鷲巣様っ……!! 『鷲巣農場』の野菜を、地獄ネズミの集団が食い散らかしておりましてっ……!
 すばしっこくて、私たちの手に余るのですっ……! どうかっ……! どうかお力添えをっ……!」
「またかっ……! まったく、しょうがないっ! 待ってろ! 今向かうっ!」
 まるで神にでも縋るような切羽詰まった鬼の様子に、鷲巣も頼られて悪い気はしないが、こうも被害の頻度が高いと辟易する。現場報告書に目を通すのは後になりそうだ。
 鷲巣は、ここでようやく重い腰を上げたのだった。

 暖炉の火の後始末をして、側近の白服へ出掛ける旨を伝えると、
「どうぞ、こちらをお持ちくださいっ!」
 と、『地獄ようかん』を手渡された。地獄ようかんとは、地獄のオーソドックスなお菓子である。地獄にもあずきはある模様だ。
 書斎を出て、客間のある二階を通り、これまた広大なエントランスへ。そこで鷲巣は、自分の身なりを確認した。
 武器として使えるものは、愛用の『鷲の杖』。持ち手部分に鷲の装飾が施されている杖だ。歩行補助のためのものだが、お仕置きにも使える優れものである。
 念殊(ねんじゅ)には『菫青石(きんせいせき)の念殊』を持っている。守りの姿勢が強化され、見た目もシンプルで、悪く無い。
 確認を終えると、鷲巣は大きな玄関扉を押し開き、その先にある門扉を開いて邸宅を後にした。
「よしっ! では早速、『鷲巣農場』へ向かうかっ!」
 農場は、鷲巣邸の西側に位置している。今日は丁度、足を運ぼうと思ってはいたが、予定外の事態にやや足取りも重くなる。
 そんな鷲巣が農場に辿り着いた時に目にしたのは、仮にも獄卒である鬼たちが情けなく地に伏している光景だった。
「貴様ら~~~~っ!!」
 それには、鷲巣も思わず叫びたくもなる。
「ネズミにスネをかじられた程度で、何をへたり込んでおるんじゃっ!!」
「面目ございません……」
 その一喝に冷や汗を流す鬼たち。
「でも、スネは痛いんです……弁慶も泣くんです……鬼も泣きます……」
「これが本当の、泣いた赤鬼……なんちゃって……」
 こんな時にも冗談が言える鬼に、鷲巣は言葉を失った。いや、呆れてものも言えない、と言った方が正しいか。暫しの逡巡の後、
「貴様はクビじゃ、クビ。閻魔の元へ帰れ」
 冷酷な解雇命令に、鬼は素直に「もっ……申し訳ございません……」と謝罪した。まったく、獄卒と死者、どちらが罰を与える立場なのか解ったものではない。
 そんな間にも、地獄ネズミたちはチョロチョロと足元を駆け回っている。確かに、すばしっこくて捕まえるのも一苦労しそうだ。
「まったく情けない! わしが手本を見せてやろう!! 見ておれ!!」
 そう息巻くと、自ら地獄ネズミへと立ち向かっていった。
「まったく! このわしが、畑を荒らす畜生の相手をするとは……!!
 良いか鬼どもよ! わしが手本を示してやる! 見ておれよ!!」
 鷲巣は、愛用の『鷲の杖』で地獄ネズミを殴り付ける。見たところ、なかなか効いているようだ。しかし、相手とて地獄の獄卒。ただでは済まさないようで、反撃をしてくる。
 そこで、鷲巣は習得している技術“わしはわしのことだけすき!”を発動させた。
 唯我独尊……ここに極まれりっ……!! この技術は体力を回復させてくれるだけでなく、双方の一攻防ごとに傷が治癒されるという優れモノである。
 その後も、鷲巣は攻撃と防御を繰り返しながら、地獄ネズミを退散させることに成功した。教育的指導完了っ……!!
「成敗っ!!」
 地獄ネズミは、一目散に畑から逃げ去っていく。
「カカカッ! ちょろいのぉ~~っ!」
「さすが鷲巣様っ……!!」
「お見事ですっ……! シビれましたっ……!!」
 戦いを見ていた鬼たちも感服し、賞賛の言葉を投げる。それに、ますます鷲巣は気を良くした。
「ん~~~~っ! そうじゃろう! そうじゃろう! クカカカカっ!」
 けれど、まだ足元や視界の端には、チョロチョロと動く影があるようだ。
「しかし、まだ何匹かいるようじゃの。残りもさっさと追っ払わねばな……。
 貴様らは、そこで休んでおれ! わしの勇姿を、しかと目に焼き付けるが良いっ……!」
 早速、農場を歩き回ろうとする鷲巣だったが、それを鬼たちが呼び止める。
「お気をつけください、鷲巣様っ……! わずかですが、どうぞこれをお持ちくださいっ……!」
 そう言って、地獄ようかんを手渡された。回復アイテムは多いに越したことはない。
 さて、そうして鷲巣の地獄ネズミ退治が始まった。逃げ回る地獄ネズミを追い掛けては攻撃し、反撃され、回復し、教育的指導を下していく、の繰り返しで、あっという間に農場から地獄ネズミたちは姿を消した。
「カッカッカッ!! 愉快愉快っ……! 掃除が終わると、清々しい気分になるのぉ~~っ!!」
 思わずファンファーレが鳴り響きそうなくらい上機嫌になった鷲巣。だが、鬼の一匹が北の方角からの異変に気付く。
「あっ……!!」
「なんじゃあ……?」
 鷲巣が声に振り向くと、白い動物のような何かが農場の柵を飛び越えて、鬼に体当たりをぶちかました。そして、手近にあった作物を咥えて、颯爽と逃げていく。
「あぁっ……! コラっ……!!」
 そのあまりの一瞬の出来事に、他の鬼も身動きが取れずにいた。
「犬……ですかね……?」
「う~ん……? しかし、不喜処にあんな白い犬がいるなどは、聞いたことがないぞ……?」
 これでも長い地獄生活を送っている鷲巣でも、不思議な事態に首を傾げる。
「なんだか気になるのぉ~~……。北の方角に逃げたようじゃが……」
 云々唸っていても始まらない。そう判断した鷲巣は、
「よしっ……! 追いかけてみるかっ!!」
 好奇心旺盛な子供のような顔をして、鬼を驚かせた。
「えぇっ!? でも……その……もう逃げたわけですし……。もう良いのではないですか……?」
 たじろぐ鬼に、鷲巣は険しい顔をして喝を入れる。
「アホっ! やつは、ここで餌を手に入れたのだ。動物は、一度餌を手に入れた場所を忘れんのだっ!
 早めに手を打たねば、何度もこの畑へ盗みに来るぞっ!」
「は……はぁ……」
 いまいち納得していないような鬼はそのままに、鷲巣は白い犬を追い掛けることにした。

「ふむ……北の方と言えば、『伐採場』がある方角じゃのぉ……。
 あそこには、鬼どももいるはず。行ってみるかっ……!」
 『伐採場』は、地獄の中でも珍しく、緑の木々が立ち並ぶ森だ。ここで伐採された木材は、街の建設に使われている。
 そんな場所に、金色に輝く水晶が置かれている。その傍らに居た、女の鬼に声を掛けられた。
「あれっ! 鷲巣様じゃないですか! 鷲巣様も“記憶水晶”にお祈りですかっ?
 記憶を残しておくことは、大事なことですもんねっ!」
 女の鬼は、我がことのように嬉しそうに飛び跳ねた。
「ここの“記憶水晶”なんて、きんきらきんのピッカピカですからっ!
 元気モリモリにもなれて、一石二鳥ですねっ!」
 “記憶水晶”には種類があり、この伐採場にあるものは最上級の金色をしている。冒険の記録を付けられるだけでなく、体力やステータスの回復もできるという優れモノである。
 鷲巣は水晶に祈りを込め、その光を浴びると、別の鬼に話し掛けられた。
「これはこれは鷲巣様、いかがなされましたか?
 え? 白い犬……ですか……?」
 鷲巣の事情を聞いた鬼は、両腕を組んで記憶を辿る。
「うーん……どうだったかな……。見てはいないんですが、そういえばガサガサ聞こえた気がします。
 それが、鷲巣様のお探しの犬かどうかは、わからないのですが……すみません……」
 しょんぼりと肩を落とす鬼だったが、鷲巣は実際に自分の目で確かめようと伐採場の更に奥へと進む。
 しかし、鬼たちに聞きながら回っていると、一番奥に居た鬼がこう言った。
「え? 白い犬……? さっき通ったかもしれないですね」
「そうかっ! その白い犬を追っておるんじゃっ! そこを退かんかっ!」
「はいはーい、退きますよ。
 ここから奥は、まだ我々の手が入っていませんから、歩道もロクにないですよ。気をつけてくださいね」
 一言忠告を投げると、鬼はその場を退いて道を譲った。
 木々のトンネルを抜けると、鷲巣は目敏くあるものを見つける。
「むっ……! あそこにあるのは……」
 近寄って見てみると、それは自生した地獄の薬草だった。
「ここには“地獄露草”が生えておるのか。備えとして拾っておくかっ……!」
 それから鷲巣は、足元にも気を配りながら、更に奥へ奥へと進んでいく。すると、だんだんと水の流れる音が聞こえてきた。どうやら川があるようだ。
 開けた場所に出ると、今まで鬱蒼としていた森の中に比べて光が差し、結構な幅のある川が流れていた。対岸にも何かありそうな気配がする。
「うーん……向こう側も気になるが……。いや、この程度なら飛び移れるなっ……!
 とぉっ!!」
 誰もいないのをいいことに、鷲巣は掛け声と共に大きくジャンプした。川の中から頭を出していた岩を足掛かりに、対岸へと辿り着く。
「うむ……川でも“岩がある所”ならば、飛んで渡れそうじゃのっ!」
 鷲巣は一つ知恵を得ると、更に周囲を歩き回る。そして、いかにも怪しい洞穴の入り口を見つけた。
「ふむ……。洞穴のようじゃが、埋まりかけておるのぉ……。何か手掛かりは……。どれ……よ~く見てみるかっ……!」
 鷲巣は、埋まりかけの洞穴を注意深く観察し始めた。
 岩や土が入り口を塞いでいるが、小さな穴が見える。中型の動物なら、なんとか通れそうなサイズだ。
 どうにか入れないか思案するが……やめておこう。頭が入ったとしても、抜けなくなったら大変だ。
 もっとよく見ると、小さな穴のところどころに、白い毛が付いているのが見える。先ほどの白い犬のものだろうか……?
「この白い毛……っ! 新しいもののようじゃし、この奥にいそうじゃの!」
 鷲巣は見当をつけたが、問題はどうやって先に進むかだ。
「う~ん……となると……何か掘るものは……」
 鷲巣は道具について考え始めるが、仮に道具があったとして、何も自分の手を煩わせることはない。
「閃いたぞっ! 入り口にいる鬼どもに掘らせるかっ!
 キキキ! 我ながらナ~イスなアイディアじゃっ!」
 思わず自画自賛してしまう思考回路に、頬が緩む。そうと決まれば、鷲巣は来た道を駆け戻り、鬼たちに話し掛ける。すると、一人の鬼が肩を落としていた。
「わし、おっちょこちょいなんです……。斧と間違えて、スコップを持って来てしまったんです……。
 オーノー……なんちゃって……」
 どうやら、落胆していても、冗談を言うだけの気力はあるらしい。
「捻り潰すぞ貴様……」
「ヒエ~~~ッ! ごめんなさいっ!! もう言いませんっ!!」
 鷲巣が一睨みくれてやると、鬼は慌てて口をつぐんだ。それに呆れつつも、鷲巣は鬼に問う。
「ところで貴様、どうやって木を切っておったんじゃ? まさか、スコップでちまちまと突っついていたわけでもあるまいな?」
「はい! 仲間に道具を借りて、真面目に仕事していました! ちゃんとやっていますっ!
 嘘じゃないですっ! 嘘ついたら閻魔様に怒られますっ!」
 必死に弁解する鬼に、鷲巣はニヤリと口角を上げた。
「良い良い、今回は怪我の功名……。そのスコップが役に立つんじゃ。貴様、ちょっとわしについてこいっ!」
「スコップが……ですか……? はい。では、お供させていただきますっ……!!」
 そうして、鬼と共に先ほどの洞穴に戻った鷲巣は、鬼にスコップで入り口の土砂をザクザクと掘らせた。ザクザク、ザクザク、ザックザク……。
「ふぅ~……。こんなもので、どうでしょうかなっ……!」
 さすがは腕っぷし自慢の鬼。一人で、しかもスコップで、洞穴の入り口を塞いでいた土砂を、人が通れるくらいまで掘ることができた。
「崩落も心配ですし、わしが先に中に入って様子を見てみましょう」
「うむ、頼むぞ」
 鬼の気遣いに頷くと、鷲巣はその場で待機する。そして洞穴の中から鬼の声が聞こえた。
「どうやら、中の壁面は崩れてはいないようです。これならば安全でしょう」
「よし! では、わしもそちらへ向かうぞっ!」
 いよいよ鷲巣は、洞穴の中へと足を踏み入れた。道は狭いが、空間としては広く、あちこちで岩がむき出しになっている。鬼に見送られ、更に奥へと進むと、
「むっ……!」
 洞穴の一番奥の行き止まりで、先ほどの白い犬を見つけた。
「クキキッ……! おった、おったぞ……! さっきの犬っ……!」
 白い犬は、まだ鷲巣の存在に気付いていないのか、すやすやと眠っているように見える。
「さーて……わしの畑から食い物を盗んだのだっ……! 一発くらいは、わしの鉄拳制裁を食らってもらわねばなっ!」
 ずんずんと白い犬に近付いていく鷲巣。その隠さない気配を察し、ようやく白い犬は耳を立てて飛び起きると、前足と頭を低くして低く唸り声を上げる。
「カカカッ……! 一丁前に威嚇かっ! 結構結構……」
 そうして一匹と一人が対峙していると、鷲巣はふと、あることに気が付いた。
「ん~~……? 貴様、痩せておるとはいえ、犬にしてはなんだかガッシリしておるのぉ……?
 貴様、犬ではなく、狼かっ……!」
 その事実に思い当たると、洞穴の手前の方から「鷲巣様ぁ~~っ!!」と鬼の声が響いてきた。鬼は颯爽と鷲巣の元へ辿り着くと、その様子に足を止める。
「ややっ……!? 鷲巣様が探していらした、犬は見つかりましたかなっ!?」
「一瞬だったから犬と思っておったが……よくよく見れば、狼のガキであったわ……」
 鷲巣が鬼に視線を逸らしたと同時、両者の睨み合いが解ける。気が緩んだのか、白い犬……もとい、狼の子どもは、後ずさりして「クゥン……」と小さく鳴いた。
「元気がないようですね……」
「哀れなものよな。狼とは、群れで生きる動物じゃろ。幼いうちに、はぐれ狼になってしまうとは……。
 親に食い物を教わらなかったのか。狼は肉食っ……! 野菜など食ったところで、消化できんじゃろ。
 野生の肉食獣は、草食動物の内臓を食うことによって栄養を補っておる。
 おまけに、狼は他の肉食動物に比べると、牙も爪も強力ではない。だから群れで狩りを行うのだ。このままでは餓死だぞ」
 鷲巣の話を聞いて、鬼は悲しそうに眉を下げる。
「この不喜処で狼を見るのは、何百年ぶりでしょう……。もう絶滅したものとばかり……いや、このままだと、本当に絶滅……。
 なんというか……このままというのも、かわいそうですね……」
 そのあまりの落胆具合に、鷲巣はこんな時でも喝を入れる。
「すーぐそうやって同情するっ! わしは好かんっ! そういうのはっ……!
 自分の手で道を切り開いてこそ、己は磨かれるのじゃっ!」
 鷲巣は厳しい現実を突き付けるが、改めて狼の子どもに向き直ると「とはいえ、じゃ」と口角を上げて、
「こいつは、大人になればデカくなるのか?」
 などと、唐突な問いを鬼に投げた。
「え……? ああ、はい……。見た所この子は“フキショオオカミ”の子……。であれば、狼の中でも大型の方ですね」
 鬼が解説すると、鷲巣は「ふーむ……」と唸ったかと思えば、
「クカカッ! こやつ、手懐ければうまく使えるやもしれんぞっ!」
 と、またもや妙案を思い付いたようだ。
「と、言いますと……?」
「我が鷲巣農場の番犬……もとい番狼(ばんろう)にして、ネズミやら鳥やらを追い払うのに、一役買ってもらおうではないかっ!」
 言い放つと、鷲巣はビシッと人差し指を鬼に向けて、
「貴様ら鬼は、大概の者が自らの怪力に頼っていて、その動きに機敏さというものが欠けておるっ!
 クマやらイノシシやらになればマシだが、すばしっこい小動物になった途端、全く使い物にならんっ!」
 先の地獄ネズミの一件を引き合いに出され、その当事者ではなかったにしろ、鬼は「面目ない限りです……」と真摯に受け止めた。
「まあ、適所適材という言葉もある。鬼はパワーに長け、敏捷性(びんしょうせい)に劣る……ならば、その穴を埋めてやるのが肝要(かんよう)じゃ。
 こやつ、パワーはないが、素早さはなかなかのものじゃった! このわしも出遅れたからなっ!
 そして、大人になったこやつを横に従えている、わしの姿を想像してみよっ!」
「は、はあ……」
 鬼は、言われたように想像力をフル回転させてみる。
 鷲巣の身の丈以上に成長した、大人の姿のフキショオオカミ。そして、それに埋もれるような小柄な鷲巣が浮かんできた。
 鷲巣自身が、どのように想像力を働かせているかは鬼には解らなかったが、
「どうじゃっ! かっこいいじゃろっ!」
「なるほど……?」
 取り敢えず、本人の想像に任せて頷いておいた。
 そうと決まれば、鷲巣の行動は早い。狼の子どもに向かって、説得を試みる。
「おいっ! 貴様、わしの屋敷へ来いっ! 餌をた~~んと食わせてやろうっ!
 わしの横におっても恥ずかしくないような、立派な狼に育て上げてやろうっ!」
 狼の子どもは、やはり人間の言葉は理解できないようで、頭上に疑問符を浮かべる。けれど、先ほどまでの警戒心は無いようだった。
「んんん~~~~?? わしが貴様を救ってやろうと言っとるんじゃっ! 遠慮をすることはないぞっ! クカカっ!」
 高笑いする鷲巣からも敵意を感じなくなった狼の子どもは、何かの意思表示に「わんっ!」と一声鳴いた。
「まだ犬のようにしか鳴けんのですなぁ」
「こやつが遠吠えを覚えるのが楽しみではないかっ! クカカカカっ!」
 どうやら狼の子どもは警戒心を解き、尻尾を振って一緒に笑っているような雰囲気になった。
「そうじゃのぉ……。名前を考えてやるかっ……!
 白い狼じゃから……白狼……ハクロウ……。決めたぞっ!! ハクロウじゃっ!!」
 すっかり上機嫌になった鷲巣は、ハクロウと自ら名付けた狼の子どもに近付き、頭を撫でてやった。
「良い名じゃの~~っ! このわしが名付け親だなんて、果報者じゃぞっ!」
 ハクロウも嬉しそうに尻尾を振り、ぴょんと飛び跳ねて「わんっ!」と鳴く。
 その様子を見守っていた鬼も、鷲巣の閃きによって事態が丸く収まったことに、感銘を受けた。
「おおっ……! 鷲巣様のお気持ちが、伝わっているようですなっ!
 不喜処の鬼は皆、動物の飼育は心得がありますゆえ、ひとまず、屋敷へ連れて帰ってあげましょう」
 鷲巣もその提案を飲み、鬼とハクロウと一緒に洞穴内の来た道を辿り、入り口へと戻ってきた。
「おお……こりゃあまた……外に出ると眩しいですなっ……」
 鬼の言う通り、洞穴から出ると外の光で急激に目が眩む。一瞬、目の前が真っ白になるような感覚をやり過ごして、鷲巣は改めて洞穴に振り向いた。
「ふぅー……。せまい穴じゃったのぉ……。
 どうせ地中に穴を掘るならば、でっかい地下空間を作る方が良いっ! だってわし、若い頃は地下にSLを走らせたし、地下帝国作る気じゃったし。クキキっ……!」
「地下帝国……」
 鷲巣なら、きっとやりかねない事案だったろうその言葉に、鬼は改めて鷲巣巌という男の野望の広さを思い知った。
 そんな鬼の思考など露知らず、鷲巣は隣にいるハクロウに声を掛ける。
「ハクロウよ。さっそく、わしの屋敷へ行こうかの!」
 ハクロウは喜びを表すように二度鳴いたが、それと同時に洞穴の中から重々しい音が響いてきた。
「あ~~~? なんじゃあ?」
 ひと際大きな轟音がしたと思い、揃って振り返ってみれば、洞穴の入り口は再び土砂で埋められてしまった。
「うっ……埋まってしまいましたな……」
「これはまた……間一髪というやつじゃっ!
 良かったのぉ、ハクロウっ! 貴様、わしがもう少し遅かったら、生き埋めになっておったところじゃっ!」
 ややおどけて鷲巣が言うと、ハクロウは飛び跳ねながら「わん、わんっ!」と鳴いた。
「カッカッカ! それは礼を言ってるのかっ? 賢いのぉっ! カッカッカ!
 よしっ! では、屋敷へ帰ろうではないかっ!」

 伐採場の最奥から、かなりの距離を歩いてきたので、鷲巣も少し疲れていた。けれど、それ以上にハクロウは弱っていたので、鷲巣邸に帰り着くやいなや、事情を聞いた鬼が早速ハクロウの為に餌を用意してくれた。
「ハクロウちゃんは、だいぶ弱っていましたから、内臓を抜いた飛無鶏【ヒナイドリ】の生肉を用意しました。今はまだ、生で内臓を食べることで、寄生虫などの感染症の危険性もありますから」
 おばさん鬼は、そう言うとハクロウに餌の入った器を勧める。ハクロウは、ふんふんと鼻を鳴らして最初こそ戸惑っていたが、それが食べられるものだと解ると小さな口で肉を食べ始めた。
「ふむ……そのあたりの危機管理のノウハウは、お前らの方が上じゃろう。任せるぞっ!」
「かしこまりました。それにしても、衰弱している以外は怪我もなく、とても健康体ですよ。空腹がなくなれば、走り回れるでしょう」
「では、明日にでも農場に連れて行ってやろう。畑を荒らす野生動物を追い回すうちに、狩りは自然と覚えていくじゃろうし」
「ええ、それが良いかと思います」
 鷲巣は、餌に夢中になっているハクロウに期待の眼差しを向ける。
「ハクロウよ、しっかり食うのじゃぞっ! 食わねば立派な成体にはなれんからなっ!」
 もう既に自分の名を認識しているのか、ハクロウは元気よく「わん、わんっ!」と返事をした。
「カッカッカッ! まずは空腹を満たすが良いっ! それが貴様の最初の仕事じゃっ!」


 鷲巣邸に、ひょんなことからやってきたのは、絶滅したと思われていたフキショオオカミの仔であった。
 “ハクロウ”と名付けられたこの子を、鷲巣を含め屋敷の鬼たちは新たな家族として、温かく迎え入れたのであったっ……。


 そして、夜が明けたっ……。


 今日も今日とて、鷲巣は書斎で作業をしていた。側近の白服が話し掛けてくる。
「本日は、もうハクロウちゃんを鷲巣農場へ連れていくご予定でしたね」
「うむっ! 餌に有り付いたら、見違えるほど元気になりおったっ……!
 ハクロウも、狭い庭よりは、広い農場で駆け回った方が良い運動にもなるじゃろっ!」
 鷲巣邸の庭も充分に広いが、それ以上に、ハクロウを農場に置くのは害獣駆除の為もある。これぞ、まさに一石二鳥というものだ。
「鷲巣様にも、我々にも、懐いてくれて良かったですね」
「クキキっ……! 愛玩動物というものには興味がないと思っておったんじゃがのぉ……懐かれると、悪い気はしないもんじゃなっ!」
 上機嫌な鷲巣と談笑していた鬼は、つい職務を忘れてしまいそうになる。けれど、
「あっ……! そうでしたっ……! 鷲巣様にご連絡がっ……!」
 緩んだ緊張の糸を再び張り詰めて、白服は居住まいを正した。
「ハクロウちゃんが屋敷の一員になったことを記念しまして、玄関先に“金の記憶水晶”を設置させていただきましたっ……!
 鷲巣様も、どうかご活用くださいっ……!」
 これは朗報。鷲巣の機嫌は更に好調になる。
「ほっ! そうかっ、そうかっ! では、使わせてもらうかのぉっ!
 では、わしはそろそろハクロウを迎えに行こうかのっ! 送り届けたらすぐに戻って来るが、まっ! いつも通り留守を頼むぞっ!」
「はい、かしこまりました!」
 鷲巣は書斎を出ると、階段を降りて二階へ、更にエントランスへ降りて玄関扉を開けると、屋敷の東側の庭に居るハクロウの元へとやってきた。
「ほれっ! ハクロウっ! 今日から、わしの農場で一働きしてもらうぞっ!」
 昨日までの疲労はどこへやら、すっかり元気になったハクロウは、飛び跳ねながら犬のように吠えた。きちんと意思の疎通はできているようで、鷲巣も嬉しくなる。
「良い返事じゃっ! では、わしについてこいっ!」
 鷲巣が歩き始めると、ハクロウはその後ろをしっかりとついてくる。
「よしっ! では、ハクロウ初出陣じゃっ!!」
 ハクロウを引き連れて、鷲巣は農場へ辿り着いた。早速、鬼が一人と一匹に気付いて声を掛ける。
「おお、鷲巣様! おはようございますっ!
 ハクロウちゃんにも、お世話になりますっ……! よろしくお願いしますっ!」
「うむっ! 地獄ネズミどもの駆除は、ハクロウに任せるが良いっ!」
 そう言うと、鷲巣はハクロウを鬼に託した。ハクロウも素直に鬼の傍らに付き、自分の仕事を理解しているようだった。
「では、わしは屋敷に戻って仕事をしておるっ! ハクロウがおれば問題はないと思うが……。何かあれば、屋敷へ連絡するのじゃぞっ!」
「はいっ! かしこまりましたっ!」
 鬼の返事に頷くと、鷲巣はハクロウに向かって身を屈めた。
「よいか、ハクロウ? 畑の作物は食ってはいかんぞ?」
 その言葉に、ハクロウは飛び跳ねながら元気に「わん、わん!」と鳴いてみせた。
「よしよし、わかっとるようじゃのっ!
 屋敷に戻れば、またたんと食わせてやるからのっ! しっかりと働くのじゃぞっ!」
 そして、またハクロウは一鳴きすると、早速畑中を駆け回り始めた。それを良しとして、鷲巣は農場を後にする。

 帰りの道中、鷲巣は今回の一件を改めて振り返った。
「う~ん……ハクロウの件は久々に、わし自らの足で動いたのぉ……。
 やはりこうして、自分で動くというのは、わしの若い頃を思い出して心が躍るのぉ……!
 なんかうっかり、わしが大暴れできる大事件でも起こらんかのぉ~~っ! クカカカカッ!」
 などと、つい本音を漏らしてしまう鷲巣であったが、高笑いの後でふと冷静になって考えてみる。
「って……流石のわしの豪運でも、大事件はそうそう起こせんか……」
 やや、しょんぼりした様子で鷲巣が屋敷への帰路を辿っていると、何やら近付くにつれて慌ただしい様子が聞こえてきた。
「急げっ! 侵入者だっ!」
「鷲巣様は、農場にいらっしゃるっ! 我らで対応するぞっ!!」
 白服たちの不穏な言葉のやりとりに、鷲巣は眉根を寄せる。
「あぁ~?? 侵入者ぁ~~?」
 その時、屋敷から飛び出してきた一人の白服が、鷲巣の姿を見て心持ち安堵したような表情を見せた。
「鷲巣様っ! お戻りになられていたのですねっ……!」
「血相を変えて、どうしたんじゃ? 侵入者と聞こえた気がしたが……?」
 ただならぬ気配を感じて鷲巣が問うと、白服は事の次第を説明し始める。
「はいっ! そうなんですっ!!
 警備室の監視装置が、『境界の森』にて侵入者を発見しましたっ!」
「ほぉ~っ……! 確か、新たに鬼が来る申請は来とらんなあ……?」
 思わず、鷲巣の口角がニヤリと上がる。それに気付かない白服は、鷲巣を屋敷へと促す。
「はいっ! ですので、どうぞ鷲巣様は、お屋敷へお戻りくださいっ!
 私が侵入者を排除してまいりますっ!!」
 胸を叩く白服に、鷲巣は込み上げてくるものを抑え切れずに、「キキっ……! クキキっ……!」と肩を震わせる。そして遂に、
「カカカカカッ!!」
 盛大な笑い声を上げた。それには白服もたじろぐ。
「わっ……鷲巣様っ……!?」
「わしって最高にツイておるのぉ~~っ!!」
「はっ……!? はぁ……」
 妙に上機嫌な鷲巣の様子に、白服はついていけずに生返事をする。
 そして鷲巣は、とんでもない事を言ってのけた。
「侵入者の面倒は、このわしが見るっ!!」
「しっ……しかし……! よろしいのですかっ……!?」
「いいんじゃっ!!」
 力強く肯定され、白服も怯む。それに加え、
「なぜだか、わかるかっ!?」
 逆に問いを投げられ、白服は力なく俯いた。
「い……いえ……申し訳ございません、わかりません……」
「わしがな……暴れたいんじゃっ!!」
 とてつもない満面の笑みで、鷲巣は恐ろしい事を言い放った。
「えぇっ!?」
「面白いではないかっ! ここ100年、暴れられることが滅多になくて、鈍っとったんじゃっ!!
 よいか? 『境界の森』へは、わしが行くっ!!
 貴様らは、屋敷と『共生ニュータウン』の警備にあたれっ!」
 ふつふつと湧き上がる衝動に突き動かされるように、鷲巣は頑として意見を曲げなかった。けれど鬼たちにも仕事はさせるようだ。
「はっ!! かしこまりました!! どうぞお気をつけてっ……!!」
 鬼は深々と一礼すると、他の白服たちにも指示を伝達する為に一旦屋敷へと戻っていった。
 『境界の森』は、鷲巣邸から南の方角に位置している、文字通り地獄で鷲巣に与えられた領土との境界に当たる森だ。農場や伐採場に比べると距離があるが、鷲巣は目を光らせながら前を見据えた。
「では、向かうとするかっ……! 『境界の森』っ……!!」
 地獄を歩き回るということは、地獄に生息する生き物の縄張りに足を踏み入れることと同じである。途中、何度か地獄の野生動物たちと出くわしたが、先を急ぐ鷲巣は、それらにことごとく教育的指導を下していった。
 『境界の森』の北の入り口には、“金の記憶水晶”があった。鷲巣は有難く祈りを捧げると、万全の状態で枯れ木の立ち並ぶ朽ちた森を進んで行く。
 そして、だいぶ開けた場所へ出ると、急に大地が揺れたような感覚を覚えた。
「あぁ~?」
 その上、何やら地響きのようなものも聞こえてくる。それに鷲巣は首を傾げた。
「なんだぁ……?」
 周囲を見渡しつつ先へ進むと、鷲巣は自分に近付いてくるあるものを見付けた。どこからか、とても小さなもの……自分の膝丈にも満たないような『人間』が、ちまちまと走ってくるのである。
 そして、それがなんと喋った。
「おっと……今度は、デカい爺さんか……。いよいよ、万事休すってとこか……?」
 小さな人間は、どこか渋い口調で独り言を呟くと、
「あんた、言葉は通じるかい?」
 と、逆に問いを投げてきた。
 鷲巣は、見たこともないその小さな人間に怒りを覚える。
「貴様じゃなっ!? 侵入者っ……!! ここを、どこと心得るっ!!」
「どこって……地獄だろ?」
 小さな人間は、鷲巣の怒りなど露知らず、さも平然と答えた。
「爺さん、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」
「えぇいっ! わしが質問しとるんじゃっ!!」
 鷲巣が小さな人間にずんずんと歩み寄ると、その人物は鷲巣を目一杯に見上げながらも首を傾げた。
「ん……? なんでかな……あんたとは、どこかで会ったことがある気がするな……」
「あぁ~……? 貴様のような、まだ自分のこともロクに思い出せとらん亡者は知らんぞ……?」
 意味深な鷲巣の言葉に、小さな人間は尚も眉根を寄せる。
「なんで俺が、自分のことを思い出せないって思うんだい?」
「貴様の、その小ささよっ……!
 ボソボソ喋るなっ! 声が聞き取りづらいんじゃっ!! ハキハキ喋らんかっ!!」
「すまねぇな。俺は、こういう声量なもんでね」
「じゃ~か~ら~~っ!! 腹から声を出さんかっ!!」
 どこか論点がズレているような会話だったが、鷲巣が大声を出した途端、小さな人間のやってきた方角から、とてつもない咆哮が聞こえてきた。
「なんじゃっ! うるさいのぉ~~っ!!」
 声が小さいだの、うるさいだの、忙しい鷲巣である。
 けれど、その咆哮に小さな人間は然して驚きもせず、逆に冷静に状況を理解する。
「おっと……。これは、追いつかれちまったかな……?」
 などと言っている内に、その主が姿を現した。のしのしと重い足音を響かせながら近付いてくるのは、鷲巣よりも遥かに大きな地獄の動物だった。
 その巨体に、流石の鷲巣も顔を青ざめさせる。
「あぁ~っ!?」
「これは犬か……いや、猫かな……?」
「そいつは地獄大ネズミじゃっ!!」
 素っ頓狂な見解をする小さな人間に、鷲巣は盛大にツッコんだ。
「へぇ……ネズミなのか……。こんな、人間よりデカいネズミがいるんだな。
 こいつは、やっぱりあれか? 俺を食おうとしてるのか?」
「じゃろうなっ!!」
 こんな状況でも全く臆しない小さな人間に、鷲巣も最早ツッコむしかなかった。
「ここ“不喜処”は、地獄の中でも亡者が動物に食い殺される所じゃからのっ……!!」
「へぇ……。そりゃあ、おっかねぇ所だ。だが、だからって大人しく食われちまうのも癪だな」
 口ではそう言うが、小さい人間はただでは引かないらしい。そこで一つ、鷲巣に提案する。
「爺さん、すまねぇが、ちょっと手伝ってくれねぇか。こんな小せぇナリじゃあ、喧嘩もままならねぇ」
「ぬかせっ!! 貴様のようなチビが、どうこうできる相手かっ!」
「あんたは地獄に慣れてそうだ。見て学ばせてもらうよ」
「かぁ~~っ!! 口だけは達者じゃなっ!!!」
 どうやら、鷲巣と共に、この地獄大ネズミに立ち向かう気のようだ。
 しかし鷲巣とて、この巨体を相手にするのは少々骨が折れそうである。ぐっと武器である鷲の杖を構えると、
「助けてはやらんからなっ!! 自分の身は自分で守れっ!!」
 そう意気込んで、二人は地獄大ネズミと対峙した。
 改めてその巨体を見上げながら、鷲巣は驚きを露わにする。
「こいつは、この辺には生息しておらんはずじゃぞっ……!? なぜこんな所までっ!?」
「こいつ、面白い見た目してるだろ? ちょっと、ちょっかいかけたら気に障ったらしくてな……。
 火ぃ吹きながら追いかけてきてよ……。流石に丸焼きにされる趣味はないんで逃げてきたら、ここまで付いて来ちまったのよっ……!」
 けらけらと笑いながら事情を説明する小さい人間には、地獄に対する恐怖心よりも好奇心の方が勝っているようだった。
「このっ……大馬鹿者めがっ……!!!」
 鷲巣は、地獄大ネズミよりも、この小さい人間を殴り付けたくなったが、今はぐっと堪えた。今、相手にするべきは地獄大ネズミだ。
 小さい人間は、自らを小さいナリと称していたが、戦う術を知っている様子であり、自身に『裸単騎の魔法』を掛けた。身体から光が迸る。これは、相手の攻撃を誘発し、更に反撃することが出来る技術だ。
「お前は俺に確実に振り込むっ……!!」
 鷲巣が攻撃すると、地獄大ネズミは反撃として炎の鼻息を噴き出した。それは鷲巣らにダメージを与えたが、小さい人間はカウンターをお見舞いする。小さな体躯でも、それなりに効いているようだ。
 しかし、それでも地獄大ネズミは怯まない。小さい人間は、今度は鷲巣が拾っていた石ころを投げ付けてみる。こちらの方が、やや効果はあるらしい。
 鷲巣が攻撃しては炎の鼻息を噴き掛けられ、小さい人間が反撃する、という攻防を繰り返し、なんとかようやく地獄大ネズミへの教育的指導が完了したのであった。
 地獄大ネズミは、情けない鳴き声を上げながら、来た道をのそのそと引き返していく。それを見送りながら、小さい人間は息をついた。
「ふぅ……。追っ払えたな……。世話になったな、爺さんっ……!」
 改めて見上げられ、礼を言われても、鷲巣は良い気などせず、逆に額に青筋を立てる。
「やかましいわっ……! 全くっ……余計な手間を取らせおって……!!
 物珍しがって、地獄の動物にちょっかいを出すとは……! ガキか、貴様はっ!!!」
 そう。この小さい人間の言動は、まるで何も知らない子供のように感じられた。それに思い当たった鷲巣は、小さい人間について観察する。
「さては……死んだばかりじゃな……?」
「まあ、そんなところだ……。死んだことはわかるが、なんで死んだかもよく覚えてない。
 で、閻魔さんの裁判を受けるところだったんだが……。
 なんでも、アチラさんが立て込むとかで、しばらく処分は保留だそうでね。かといって、することも特に無いんでな……。
 それで、先に地獄とやらに行っていいか聞いたら、裁判再開の際はすぐ戻ってくること。刑が決まる前とはいえ、身の安全は一切保証されないこと。それさえ飲めるのなら構わないと言われた。
 ただボーッと待ってるより楽しそうだろう? だからこうして、気ままに地獄を散策してたってわけだ……!
 知り合いの坊さんから聞いてた話じゃ、まさか地獄で自由に歩き回れるとは思っていなかったんだがな……」
 小さい人間は、そこまでの長い話を語り終えると、ふと自分の発言に違和感を持った。
「ん……。どうやら俺には、坊さんの知り合いがいたのか……。名前が思い出せないな……」
 両腕を組んで考え込み始めた小さい人間の話を聞いて、鷲巣は呆れた溜息しか出て来なかった。
「貴様はのん気なモンだし、閻魔は職務怠慢じゃのぉ……」
 やれやれと肩を竦める鷲巣に、小さい人間は「ところで……」と話題を切り替える。
「さっきの話だと、俺もあんたみたいにデカくなれるってことかい?」
 だいぶ前の会話だが、鷲巣も忘れてはいなかった。いつまでも、このサイズの人間の相手はしていたくない。
「なれるともっ! 現世での記憶を、わずかでも思い出せればっ……!」
 大きくなる。つまり、地獄での人間の標準サイズになる為には、どうやら現世での自分の記憶を取り戻さなくてはならないらしい。
 それを聞いた小さい人間は、また物思いに耽り始める。
「現世の記憶……ねぇ……。名前くらいしか、まともに思い出せねぇんだが……」
「普通の亡者は、そういうモンなんじゃ。
 生前の輝かしい経歴を思い出しておる亡者は、このわし、鷲巣巌くらいじゃろうて! クカカカカっ!」
 その名前を聞いた途端、小さい人間の眉根が寄る。
「わしず……いわお……。あんた、わしずいわお、っていうのか……」
 その名を繰り返し呟くと、小さい人間はハッとして目の前の老人を見上げた。
「そうだ。やっぱり俺は、あんたを知っている……。鷲巣巌っ……!」
 その存在を認識すると、小さい人間は眩い光に包まれる。そして鷲巣が気付いた時には、自分よりやや背の高い、老け始めの男性の姿がそこにあった。
「なんじゃ……? 貴様、わしを知っとるのか……?」
 小さい姿の時より風貌が解りやすくなったとはいえ、鷲巣にその男の覚えはなかった。けれど、男は鷲巣という存在を現世の記憶の足掛かりにして、その姿を変えた。ということは、
「わしって有名人じゃのぉ~~!」
 つい調子に乗る鷲巣だったが、次の男の台詞に度肝を抜かれることとなる。
「お前だって、俺を知ってるはずさ。フフフ……。
 赤木だ。赤木しげる」
「あぁ~~? あかぎ……?」
 その名を聞いた途端、鷲巣の中で記憶が呼び起こされる。


 破滅させるには、ケタを変えるしかない。つまり、レートを10倍にしていただきたい。
 俺の値、2000万を20万点とするからダメなんで、2000万を2万点にすればいい……!
 それなら、あなたも破滅する……。仮に、俺が50万点勝てば、5億をさらう計算……。
 これなら範疇……あなたの滅びに、手が届く……!


 あの夜……、あの青年は、鷲巣を破滅させようとしていた。死を恐れぬ狂気を孕み、鷲巣に対して無尊な態度をとり、博打となれば王もガキもない、当然同列とさえ言い放ったあの青年と、今この時、地獄という場所で目の前にいる男の面影が重なる。
「赤木っ……? 貴様っ……あの赤木かっ……!?」
「思い出したかい?」
 わなわなと震える鷲巣に、今度は逆に赤木が問う。
「忘れとったんじゃないわっ……! 姿が全く違うではないかっ!! ガキだったくせにっ!! ぐっ……! ぐっ……!」
 怒りか、悔しさか、様々な感情が渦巻いて、鷲巣は言葉が出て来ない。けれど次の瞬間には、
「カカカっ……!! そうか……! そうかっ!!
 貴様、死んだのかっ……! とうとう死んだのかっ!!」
 満面の笑みで無邪気に飛び跳ねたりして、赤木が死んだことを喜んだ。
「キキキッ……! なんだ……思ったより遅かったではないかっ……! もっと早く死ぬかと思っておったんじゃぞっ……!
 そうか……貴様も死んだか……! すっかり中年になりおってっ……!」
 しみじみと赤木が死んだことを実感する鷲巣だったが、喜んでばかりもいられない。何せ、晩年は赤木を探して見付けることに命を削っていたのだ。この再会を無為にする訳にもいかない。
「しかしっ……! 今、貴様はわしの手によって、再び死ぬんじゃっ!!
 生前の無念、晴らしてくれようぞっ……!!」
 あまりの興奮具合に、鷲巣は自分たちが既に死んだ身であるということが頭から抜け落ちているようだった。死んだ人間が、地獄で再び死ねるわけがない。
「なんだ、殴り合いでもする気か?」
「貴様……。殴り合いで、わしに勝てると思っておるのか? そんなことで、あっさりと決着をつけてたまるかっ!!
 決まっとるじゃろっ! 麻雀じゃ! 麻雀っ!」
 別に赤木は殴り合いでも構わないと思っていたが、成程、流石は鷲巣らしい。それならば、赤木も願ったりだ。
「へぇ……? 打てる場所があるのか?」
「わしの屋敷で打てるんじゃっ!!
 逃がしはせんぞっ……! 今度こそ、その血、徹底的に搾り取ってくれるっ……!!」
「おいおい……。地獄にまで家があるのか……」
 鷲巣麻雀の恐ろしい宣言をされたが、それよりも赤木は別の部分に引いた。
「あるんじゃよっ! この地獄にもっ! 我が家っ!!
 クキキっ……! わしって、ほんとツイてるのぉ~っ!
 何か事件でも起こらんかと思っておったところに、赤木が来るんじゃからのぉ~~っ!!」
 この上なく機嫌のいい鷲巣だったが、改めて赤木を見ると、そのボロボロで泥だらけの出で立ちに溜息をついた。
「しかし、なんとも……みっともない姿じゃのぉ……どれだけ駆けずり回ったのやら……。
 ほれっ! ついでに着替えもくれてやるから、わしの屋敷まで来るんじゃっ!
 少々であれば客人として、もてなしてやっても良いぞっ……!」
「もてなしには興味ないが……。だが正直、少し疲れた。休ませてもらおうかな」
 ふんす、と鼻を鳴らして胸を張る鷲巣の世話になるのは些か癪に障ったが、疲れているのは本当である。赤木は、その提案を飲むことにした。
 さて屋敷へ向かおうか、というところで、鷲巣は「むっ……?」と赤木に注目した。
「ちっこくて気が付かなかったが……。貴様、丸腰ではないかっ……! これをくれてやろう……!」
 鷲巣が懐から取り出して赤木に手渡したのは、『黒い皮手袋』と『くすんだ念珠』だった。これは、鷲巣の赤木に対する配慮である。
「この手袋……。ククッ……確かに見覚えがある。お前と勝負した時に使ったな」
 懐かしいものを出してきた鷲巣に、赤木は着実に記憶を取り戻していく。
「今は、これしか持ち合わせとらんっ!
 よいか! しっかりと装備するのだぞ!!」
「そうさせてもらおう……」
 早速、赤木は『黒い皮手袋』を両手にはめた。鷲巣麻雀において、盲牌出来ないように使うものである。紅玉髄(こうぎょくずい)で作られた『くすんだ念珠』も装備し、丸腰よりかは些かマトモになった。
「さて……と。俺は土地勘が無いからな。お前について行くだけだぜ、鷲巣」
「わかっとるわ! 難しいことを考えんでも、ずーっと北へ向かえば良いっ!」
 そうして、二人は鷲巣邸へ向け、北を目指す。途中、何度か地獄の動物たちの奇襲に出くわしたが、標準サイズに戻った赤木の活躍もあり、順調に『境界の森』の入り口にまで戻ってくることができた。そこにある“金の記憶水晶”に二人は祈り、光を浴びて傷を癒す。
 それから、また更に北へ北へ進むと、地獄には似つかわしくない……もとい、場違いなほどに豪奢な建物がそびえ立っていた。
「着いたぞっ……! ここが、わしの家じゃっ!」
「ほぉ……。こりゃまた……大層な屋敷だな。
 地獄には、亡者相手に家を建ててくれる奴なんかいないんじゃないのか?」
「色々あって、わしに下った鬼どもがいる、ということじゃ。この地の開発にも携わっておるっ!」
 得意げに胸を張る鷲巣に、赤木が「へぇ……」と一言漏らすと、鷲巣は改めて赤木を見やる。
「さて、ではまずは……その泥まみれの体を、どうにかしてもらわんとな……。屋敷が汚れてしまう……。……掃除するのは、わしじゃないけどっ!
 屋敷の者に案内させるから、貴様は湯でも浴びてこいっ!」
「じゃあ、その厚意は受け取っておくかね……せっかくの屋敷を汚すのも悪いしな」
「では、付いてこいっ!」
 赤木が素直に承諾すると、鷲巣は先導して玄関扉を開ける。そしてエントランスホールの真ん中で、声を張り上げた。
「誰かっ! おらんかっ!」
「はっ……! ただいまっ!!」
 すると、二階から一人の白服が大慌てで階段を駆け下りてきた。先の侵入者の件で会話した白服だ。
「おかえりなさいませ、鷲巣様っ……! 侵入者はっ……どうでしたかっ!?」
 白服は鷲巣の様子を窺っていたが、その背後に見慣れない人物がいることに気付いた。
「お……おや……? そちらの方は……お客様……ですか……?」
「まあ、そんなところじゃ……。こいつは、生前の知り合いでの……赤木という。
 侵入者は、こいつじゃった。ここがどんな所か知らずに、たどり着いたようじゃ。
 その悪運に免じて、少々世話をしてやろうと思う。まず、見ての通り汚れておる。風呂を貸してやれ」
 白服は、侵入者が鷲巣の知り合いと聞いて驚きこそすれ、事態を把握すると「かしこまりましたっ……!」と了承した。
「ついでに、そいつの服はクリーニングに出しておけ。似たようなサイズの背広があるじゃろうから、それを着替えに出してやれ」
「はっ、そのようにいたしますっ……!
 それでは、赤木様っ……こちらへどうぞっ……!」
 指示を受け、白服は赤木を促す。それに赤木は「悪いな、突然」と一言礼を言うと、素直に白服について行った。
 二人を見送った後、鷲巣は頭上に靄を浮かべながらも、自らが招き入れた客人の為に行動する。
「さて、奴に貸す部屋を用意せねばな……」

 屋敷の西棟にある、客間が並ぶフロア。赤木に使わせる部屋を白服に整えさせながら、鷲巣は事の経緯を説明した。
「ほお……それでは赤木様は、地獄に来たばかりの方なんですね」
「うむ。どうやら、そうらしいの」
 二人は部屋から出て、白服がドアを閉める。そして先を歩く鷲巣の後を、白服がついて行きながら話を反芻する。
「生前に死闘を繰り広げられ、果たせなかった決着を今つけたいと……」
 その時、不意に鷲巣が小さく呟いた。
「ポン……」
「ポン……ですか?」
 なんのことかと言わんばかりに白服がオウム返しすると、鷲巣は途端に駄々をこね始めた。
「その一言さえ言えておればっ……! わしは奴にトドメを刺せたのにっ……!!」
「なるほど……強い未練がおありなのですね……。
 しかし、お話を伺ったところ……赤木様は、有象無象の亡者のように、ご自分を見失われていらしたのですよね……?
 鷲巣様とお会いになられて、一欠片の記憶を取り戻し、鷲巣様のようなお姿になられたと」
 冷静な白服の言葉の言わんとする部分が見えず、鷲巣は頭上に今度は疑問符を浮かべる。
「そうじゃけど……」
「確かに地獄では、亡者の体力は意気軒昂(いきけんこう)であった頃のものになります。
 しかし亡者とは本来、死を繰り返すためだけの霞のようなもの……。
 赤木様の記憶がハッキリされないうちは、経験によって培ったスキルなどといったものは、皆無に等しいかと……」
「んなっ……!?」
 白服の全うな見解に、鷲巣は雷を食らったかのような衝撃を受けた。
「えっ……? えっ……? でも、わしはっ……?」
 白服の言う事実を信じたくなくて、脳が理解を拒否しようとする。現に、鷲巣はこうしてしっかりと自我を持ち、生前の記憶もありありと思い出しているが、
「お言葉ですが……鷲巣様……。鷲巣様が、規格外なだけです……」
「こういうところにも出てしまうのか、鷲巣力がぁ~~っ!?」
 己という存在に、肯定と否定の天秤が揺らいだ。
 けれど、白服はあくまでも至って冷静に言葉を返す。
「赤木様が、生前どういった方だったのか、わたくしは存じませんので、なんとも言えませんが……。
 もしも、全盛期の赤木様との再戦をお望みでしたら、一度、赤木様のお話を伺ってみてはいかがでしょう……?」
「やっと……! やっと……! やっと見つけたというのにっ……!!」
 鷲巣は、悔しさのあまり地団駄を踏む。そこまで都合よく、事は進まないものだ。
「なにか、きっかけさえあれば、鷲巣様のように全盛期の能力も引き出せるようになるかもしれませんが……。おそらく、時間を要するかと……」
「がぁ~~~っ……!!!」
 どんどん白服の言葉が鷲巣を追い詰めていく。白服に悪気が無いのは解っているし、何より信憑性のある事実だからこそ、鷲巣は悔しさにのた打ち回るしかなかった。
「わっ……! 鷲巣様っ……! 落ち着いてくださいっ……!
 きっと勝負は出来ましょうっ……! 勝ちもたやすくっ……!」
「バカっ!!!」
 白服の台詞を遮るように、鷲巣が割って入った。そして白服に飛び掛かり、馬乗りになってポカポカと拳をふるった。
「確かに再戦はしたいっ……! じゃがなっ……!!
 奴との決着に関しては、勝てればなんでも良いというワケではないんじゃっ……!
 わかるじゃろっ……! 好敵手とは、常にバチバチ闘り合いたいっ!!
 わしは、奴が全力で向かって来たところを、圧倒的っ……!! 圧倒的鷲巣力でっ!! ねじ伏せっ! 這いつくばらせ……っ!!
 完膚なきまでにっ!! ボッコボコにっ……! してやらっ! れっレッ……!!
 レッ! レッ! レレレ! レレレ! レレレのレッ!」
 最早、言語までおかしくなった鷲巣であった。
 一頻り白服を痛めつけて多少は落ち着いたのか、鷲巣は白服から離れて想いの丈を堪える。
「くうぅ~~~っ……!!」

「ふぅ……さっぱりしたな」
 すっかり全身の汚れも落ちて、借りた緑色の背広に身を包んだ赤木は、ようやく一息つけたようだった。
 先ほどの癇癪を抑え込んだ鷲巣は、けれど面白くなさそうな表情は隠さず、赤木に言った。
「ふむ……。背広のサイズも、問題ないようじゃの……。
 そいつはくれてやる。そのまま着ておれ。返されても困るしっ……!」
「そうかい? じゃあ、遠慮なくいただいておこう」
 そして赤木は鷲巣に向き直り、
「さて……麻雀だったな。早速やるかい?」
 話題を戻したが、鷲巣は「ああ、それじゃがな……」と口籠る。
「貴様、死んで間もないんじゃろう?」
「ああ、そうだよ」
 やはり、先の白服の言葉が頭を巡り、鷲巣はどうしたものかと唸る。その様子に、赤木が眉根を寄せた。
「どうした? さっきまで、あんなにやる気だったじゃねぇか」
 まさか、今更「やらない」とは言わないだろうとは思ったが、次の鷲巣の問いには逆に頭を悩ませる。
「貴様、生前のことをどれだけ思い出せる?」
「うーん……。なんだか曖昧だな……」
「じゃろ……?」
 数刻の沈黙の後で答えると、ややしょんぼりとした顔の鷲巣に、赤木は事情を尋ねる。
「それが、何か問題か?」
「大アリじゃっ!! フヌケた貴様を倒しても、わしはちっとも嬉しくないっ!!」
 先ほどと言っていることがあべこべな鷲巣に、赤木も少し違和感を感じ始めた。
「おいおい……。俺がやるって言ってるんだから、こんなもん、もう即受けだろ?」
「ダメっ……!! 100%の貴様を倒してこそっ……! 我が悲願の成就なんじゃっ!!」
「ふーん……。なんだかよくわからねぇが……そういうことなら、俺はもう行くぜ?」
「それもダメっ……!!」
 麻雀を打つ為にここへ連れてこられたというのに、今の赤木の相手はしたくないと駄々をこね、かと言って帰らせることも拒否するという鷲巣の我儘に、赤木は辟易する。
「なんでだよ……。俺には、ここに留まる理由がねぇよ」
「貴様は覚えとらんかもしれんがっ……わしは、貴様を探しておったんじゃっ!!
 自分の足で歩けなくなってからもっ……! ずーっと、ずーっと探しておったのじゃぞっ!!
 だのにっ……! 最期まで、貴様を見つけられなかったっ!!
 大魚は大海へっ……!! 一度取り逃がせば、この広大な地獄で探し切ることは、さらに不可能ではないかっ……!!
 じゃから、全部思い出すまで、わしのところにおるんじゃっ!!」
 その、なんとも自分勝手な言い分に、赤木も遂に呆れてものも言えなくなる。けれど、それが返って生前の記憶を刺激した。
「なんだか……もっとお前のことを思い出してきたぜ……。二度とお前と会いたくないって思ってたような気がしてきたぞ……」
 とても嫌そうな表情を浮かべる赤木に、鷲巣はふんぞりと胸を張った。
「なんとでも言うが良いっ!! わしは、ここの王っ……!!
 なぁに、悪いようにはせんわっ……! この屋敷には、獄卒だった鬼どもが常駐しておるっ! 地獄のことは、鬼どもに聞くのが一番っ……! 何も問題はなかろうっ! クキキっ!」
「……。なんだか丸め込まれたな……」
 最早、反論する気力も削がれた赤木である。それに反比例して、鷲巣の機嫌は良くなっていくのも、また解せないところではあったが。
「ここにおれば、食うも寝るも困らぬではないかっ! なぁに、鷲巣領の中であれば、行動は制限せんわっ!」
「ふーん……。じゃあ、まあ……屋敷の中を回らせてもらおうかね……。
 麻雀、打てる部屋があるんだろう? どこだ?」
 赤木としては、手持無沙汰に一打ちしたい気分だった。それに鷲巣は答えてくれる。
「うむ、“遊戯室”じゃなっ! それならば、この客間を出て、ずっと右に行ったところじゃ。踊り場に出たら、そのまま道なりに進んで手前の部屋じゃ!」
「わかった、行ってみる」
 そう言うと、赤木は早速客間を出て行った。部屋に残った鷲巣は、一つ溜息混じりに唸ると、
「さて……わしも、やることをやらんとな」

 一方、赤木は、遊戯室を目指していた。客間を出て、真っ直ぐ右へ。エントランスホールの踊り場に出ると、その手前の部屋のドアを開けた。
「邪魔するぜ。ここで、麻雀が打てるって聞いたんだが……」
 一声掛けると、近くに居た白服が気付いて歩み寄ってくる。
「おお、あなたが鷲巣様のお客人、赤木様ですね。今ちょうど区切りがついたところなのです。どうぞ、こちらの卓へお入りくださいっ!」
「ああ、ありがとう」
 赤木は言われるまま、卓の一つに腰を下ろした。そして、白服たちとの対局が始まる。
 一局、二局、三局……。
「お……っと。ツモだ」
「スゲーっ!! またですかーっ!?」
「いやはや……赤木様も、お強いですなあ……」
「それだけお強いと、我々のような初心者と打っても、面白くないでしょう?」
 白服たちは次々と感嘆の声を上げるが、当の赤木としては満足している。
「そんなことはねぇさ。牌を摘まみたくてここへ来てるんだ。相手がいてくれて助かったぜ」
「また、ぜひ一緒に麻雀してくださいっ! いろんな人と打てるの、楽しいですっ!」
 白服は楽しそうに言ったが、何やら難しい顔をして黙り込んだ赤木の様子を心配する。
「?? 赤木さん? どうかしました?」
「ん……? ああ、いや……」
 赤木は言葉を濁したが、当初の別の目的も思い出し、卓を囲んでいる白服たちを見やった。
「そうだ。ついでによ、地獄について話を聞いていいかい?」
「もちろんですよっ!」
「我々も獄卒ですからね。なんでもお教えしますよ」
 気のいい白服たちで助かった。赤木は、現在自分が把握している範囲で話を始めた。
「地獄のルールってのは閻魔さんから聞いたが、鷲巣の息がかかってる場所じゃあ、勝手が少々違うんだろ?
 ここじゃあ鬼には殺されないとは聞いたが、あの馬鹿デカいネズミみたいな奴らとは、そうもいかねぇんだろ?」
 地獄大ネズミとの一件は、白服たちの耳にも届いていたようで、会話はスムーズに進む。
「そうですね。我々のような鬼は、獄卒の中でも亡者と言葉さえ交わせれば、意思の疎通はできる種族ですが……」
「動物たちとは、会話などの手段が取れませんからな」
「そりゃそうだな……そこは生きてた頃と一緒か……」
 ふむ、と赤木は顎に指を添えると、別の白服が言った。
「ええ、そうですね。ですから赤木様も、地獄で死なぬ為には、戦わなければなりませんな」
「しかし、困ったな。俺は喧嘩屋をやってたわけじゃねぇし、鷲巣ほど腕っ節が強いわけでもねぇ……」
 苦笑しながら赤木が言うと、その場にいた白服たちが揃って沈黙した。その中の一人が切り出す。
「えぇ~? 嘘をつくと、閻魔様にベロ引っこ抜かれちゃいますよ~?」
「ん??」
 なぜ、嘘ということがバレたのだろう。赤木が目を丸くしていると、
「浄玻璃(じょうはり)の鏡がなくても、ある程度のことは我々でもわかるのですよ……」
 浄玻璃の鏡というのは、閻魔が裁判をする際に使う、現世での悪行を映すといわれている鏡のことだ。白服たちは、次々と赤木の生前について話し始める。
「あなた、若い頃に辻斬りと呼ばれて、恐れられていたことがあるでしょう……」
「少年時代に、拳銃で人を撃ったこともありますね?」
「ああ……どうだったかな……?」
 それらのことが事実かどうか、思い出せない赤木がぼんやりしていると、
「地獄では、覚えていません、は通用しませんよ……」
 やや薄く笑みを浮かべている白服たちに囲まれて、赤木は弱冠冷や汗をかき始める。
(これは……あれか……? 生きたままペロリと食われるやつか……?)
 身の危険を感じた時、その場の空気を笑い飛ばしたのは、白服の中でもだいぶ砕けた口調の鬼だった。
「っていうことは、この地獄でもやっていけますよ~!」
「は……?」
「いや~、失礼しました。つい鬼の血が疼いてしまいました……」
「鷲巣領では、我々鬼は亡者に手を出さないのがルールです。どうぞ、ご安心ください」
 その言葉を聞いて、赤木はやれやれと額の汗を拭った。
「肝が冷えたぜ……しちゃあいけねぇな、悪いことはよ……」
 なんだか、どっと気疲れしたような赤木だったが、そんな彼に白服が一つ提案した。
「喧嘩には自信がない、とおっしゃられますが。赤木様には、面白い適性がありそうですよ」
「適性……?」
 また自分の何かを見透かしているような白服の視線に、赤木はオウム返しする。
「ええ。地獄ならではといいますか、死後の世界ならでは、といいますか……。
 とにかく、座ったまま説明するよりも、実践してみていただいた方がよろしいでしょう」
「ああ、よろしく頼むよ」
 どうやら少なくとも、麻雀に関する適性とやらではなさそうだが、地獄を歩き回る上での戦闘に役立つものらしい。
 赤木は大人しく席を立つと、白服と少し距離を取って対峙する形になった。白服が説明を始める。
「死後の世界において、攻撃には種類が二つあります。それが“物理攻撃”と“念攻撃”です。
 物理攻撃というのは、武器を用いたり、拳や足で殴る蹴るなど、直接的な攻撃のことです。斬・突・打、といった属性に分かれます。
 念攻撃というのは……そうですね……ゲームや漫画、映画などといった創作の世界でいう、魔法みたいなものです。
 地獄では、そのような力のことを“念力(ねんりょく)”と呼び、念力を使った技を“念術(ねんじゅつ)”と呼びます。
 赤木様には、念術の適性を感じます。物は試しです、少しやってみましょう」
 そう言うと、白服は顎に指を掛けて、何か少し考えてから指示をした。
「何か……そうですね……。私をびっくりさせようと、敵意を持って念じてみてください」
「ふーん……。敵意……ねぇ……」
 今こうして丁寧に説明をしてくれている相手に対し、いきなり敵意を持てと言われても難しいが、要は『びっくりさせる』ことが目的だ。赤木は暫く悩んだ後、
「ビックリさせるっていったら……あれだよなあ……フフ……」
 赤木が意識を集中させて念じると、白服の体が大きな氷の塊に包まれた。
「ひゃぁああ~~っっ!!! 冷たいっっ!!」
 それを見物していた他の白服たちも、見事な念術に驚きの声を上げる。
「すごいっ……!」
「本当に、地獄に来たばかりなんですか~~っ!?」
「とんでもない可能性を感じますっ……!」
 初めての実践にしては高評価だったようで、赤木はニヤリと口角を上げた。
「びっくりしたかい?」
「ええ、そりゃあもうっ……! 簡単に出来ることではないので……ここまでハッキリと氷塊が現れるとは……」
 これは、白服が思っていた以上の適性だ。しかし、当の赤木は、やや眉根を寄せる。
「いや、確かに難しいよ。俺が思い浮かべてたのは、もっと大きい……氷の山だった」
 それでも、確かに『氷』というものを具現化できたのだ。イメージに技術が追い付けば、更なる効果も期待できるだろう。
「いやはや。鷲巣様も、とんでもない方とお知り合いですな……」
「確かにこれなら、腕っ節に自信がなくても、戦う手段になるな」
 念術というものの感覚を掴んだ赤木は、これからの戦闘で足手まといにならずに済みそうで胸を撫で下ろした。
 更に、白服が説明を加える。
「地獄には、物理攻撃に耐性を持つものもいます。そういう手合いは、だいたい念攻撃に耐性を持たぬのです。きっと、役に立つでしょう」
 そうして、赤木は新たな技術として、念術“凍りつかせる”を閃いたのであった。
「徳を積めば、実現できる念も増えていくことでしょう。活用して、良き地獄ライフを送ってくださいっ……!」
「良き地獄ライフ……ねぇ……。まあ、生きたままペロリといかれないように、気をつけるとしよう」
 なんだか妙な響きだが、死んだ身で地獄に来たのに、更に死んではどうしようもない。赤木は苦笑を浮かべて、白服に礼を言った。
 さて、そろそろ別の場所へ行こうかと赤木が遊戯室を出ようとしたところで、一人の白服に「あっ! そうだ、赤木様っ……!」と呼び止められた。
「ん……? どうした?」
「赤木様がお泊りになられている部屋……西棟二階のお部屋なのですが……。
 そのお部屋の斜め向かいは“図書室”なんです。そこには鷲巣様が集められた、地獄についての本がたくさん収められております。どうぞ赤木様も、ご自由にご利用ください」
 地獄について、まだまだ知りたいことがある赤木にとっては、有難い情報だった。その気遣いに、素直に礼を言う。
「ああ、そりゃまた、気を使ってもらってどうも。覚えておくよ。ありがとう」
「いえ、とんでもございませんっ……! ではっ……!」
 白服に見送られ、赤木は遊戯室を出ると、
(図書室か……行ってみるかな……)
 好奇心をくすぐられ、次の目的地を図書室に決めた。

 そして、鷲巣の方はというと。
「では『共生ニュータウン』への追加の資材搬入は明後日と、現場の鬼どもに連絡をするようにっ!」
「はいっ! わかりましたっ!」
 若い白服が元気に返事をすると、別の白服が「そういえば鷲巣様?」と声を掛ける。
「なんじゃ?」
「赤木様の地獄での刑って、まだ決まってらっしゃらないんですよね……?」
「そういえば、そうじゃのぉ……」
 鷲巣は書斎の机に向かいながら、空返事をした。それでも白服は、なおも心配を吐露する。
「いいんでしょうか……そんな状態で、鷲巣領へ来てしまって……。
 裁判が再開となっても、赤木様が『行かない』と言えば、閻魔様は実力行使には出られませんよ……?」
「そうじゃのぉ、ここは治外法権っ……。赤木が拒んだら、閻魔はどうしようもないのぉっ!」
 ニタリと笑みを浮かべる鷲巣だったが、次には目を半眼に落とし、
「じゃが、まあ……。ならんじゃろ、そんな風にはっ……!
 奴は、なんというか……。そういう“ズルして得をする”みたいなことは、しない男なんじゃ」
「はぁ……」
 幾ら、倒したくて堪らない相手であっても、鷲巣は赤木という男を誰よりも見てきた。地獄で鷲巣に下った鬼や白服などには、わかるはずもない。
「本質は見誤らん男だ。わしは、痛いほど身に沁みておる……。
 そうじゃの。屋敷の誰か一人を、閻魔の元へ使いとして送ってやるか……。
 赤木は今、鷲巣領で確保している、と閻魔に知らせてやれ。裁判再開の折には、鷲巣領へ連絡を寄越すように、となっ!」
「かしこまりました。では、そのようにいたしましょう」
 白服は上着のポケットから手帳を取り出すと、忘れないようにその旨を綴っておいた。
「たまには、こうやって柔軟な姿勢を見せとかんとなっ! こちらのワガママ三昧だと、万が一の場合、相手に攻撃の口実を与えてしまう。
 ある程度は向こうの都合というのも汲み取って、こちらも一定の理解をしているフリをしておくのだっ!
 赤木の刑が決まったとて、ここで引き渡すという恩を売っておけば、将来的に身柄をこっちに引き戻す交渉もできよう」
 鷲巣の悪巧み、もとい頭脳戦に、白服は「勉強になりますっ……!」と更に手帳に書き込んだ。
 と、その時、書斎のドアがノックされ、別の白服の声が飛んできた。
「鷲巣様、よろしいですか?」
「うむっ!」
 入室を許可された白服は、やや慌てて鷲巣の前に立つと、ピッと背筋を伸ばした。
「ご報告いたします。『ドッカニ火山』にいる鬼から、山の機嫌が良くなったと連絡が入りました」
 『ドッカニ火山』とは、『共生ニュータウン』よりも更に北にある山のことだ。
「ほっ! そうかそうかっ! 日が沈むまで、まだ時間はある。今から足を運んでみようかのっ……!
 わしが留守の間、頼むぞっ!」
「かしこまりました」
 白服が頭を下げると、鷲巣は手帳と睨めっこをしていた白服に向き直り、
「赤木の件を閻魔に連絡するのも、頼んだぞっ!」
「はいっ! では、私が閻魔様の元へ行ってまいりますっ……!」
 情報を他の者に伝達するより、話を直に聞いた自分が向かう方が確実と思ったのだろう、白服は自身の胸を叩いた。

 そして、鷲巣は書斎を出て客間のあるフロアを進んで行くと、丁度部屋から出てきた赤木とかち合った。
「お……どっか行くのか?」
「赤木か……。北にある『ドッカニ火山』へ行くところじゃ」
「へぇ……近くに火山があるのか……。面白そうだな、俺も行っていいか?」
 火山、と聞いて、赤木は先ほど閃いた念術を思い浮かべていた。もしかしたら、場数を踏んで、もっと上達できるかもしれない……と思っての提案だったが、鷲巣は思いも寄らない申し出に目を丸くした。
「あぁ~~? 付いてくるのか?」
「屋敷にいるだけってのも、何かと暇でね。鬼の兄ちゃんたちには、色々話を聞いたが……。
 結局のところ、お前と地獄を歩き回った方が、手っ取り早そうだと思ってな」
 確かに、鷲巣と行動を共にしていた方が、赤木の生前の記憶も蘇りやすくなるかもしれない。そうなれば、再戦の日も近付くだろう。
「まあ、貴様がそう言うなら……」
「話が早くて助かるぜ。まあ、俺が足手まといだってんなら、適当に置いてってくれて構わねぇよ。テメェのケツは、テメェで持つさ」
 最初の地獄大ネズミと対峙した時とは違う、どこか戦闘への意気込みを持った赤木の様子に、鷲巣はニヤリと笑みを見せた。
「ふむ……大した自信じゃのぉ……! よしっ! では付いてくるが良いっ!」
 赤木は先ほど着替えた為、装備品を全て外してしまっていた。それらを改めて身に付けると、二人は揃って屋敷の門扉をくぐった。
 火山へ向かう道中で、鷲巣が提案する。
「赤木よ。わずかとはいえ、地獄の不条理は身を以て体感したじゃろう?
 もし、備えが心許ないと感じるのであれば、開発中の『共生ニュータウン』に立ち寄っても良いぞっ!」
「へぇ……? 『共生ニュータウン』ね……名前から察するに街だと思うが……。そこで何が出来るんだ?」
 やや興味を惹かれたのか、赤木が尋ねる。鷲巣は得意げに胸を張り、
「宿泊施設で休息を取ったり、酒場で情報収集ができたり、商店で物資の売買ができるのだ。商店では、傷を癒すものや、武器や身を守るものを取り扱っておる。
 まだ発展途中じゃから、質の良いものは並んでおらんが……。地獄ビギナーである貴様の備えの選択肢としては、申し分ないと思うぞっ!」
「地獄ビギナー……」
「クキキっ……! ビギナーじゃろっ! ビギナーっ……! 亡者としては赤子同然よっ……!」
 そう呼ばれるのはなんだが癪に障る赤木だったが、確かに現状はその通りである。
 そのついでのように、鷲巣は続けた。
「一般的に、登山と言えば登山の準備をするじゃろう? そういうことっ……!
 無論、備えなどせず、そのまま行くことも自由っ……! しかし、その場合の結果は……想像つくじゃろっ?」
「なるほどね……。まあ、覗いて行く価値はあるだろうな……!」
 そして二人は、『ドッカニ火山』への途中、鷲巣邸から北東に位置する『共生ニュータウン』へと辿り着いた。
 この街は、鷲巣の地獄掌握計画の一つである。
 鷲巣と閻魔大王との抗争を見ていた鬼たちの一部が、停戦協定後に鷲巣邸に追従し、都市開発の歯車をになっている。
 チームワークで亡者に責め苦を与える仕事をしていた鬼たちは、建築作業でもその能力を遺憾なく発揮し、工事は順調に進んでいた。
 朝もっ…! 昼もっ…! 夜もっ…!
 鷲巣たちは、街の入り口付近にある『共生マート』へと入った。すると、防具担当の店員が声を掛けてきた。
「鷲巣様ではございませんか。お世話になっております。本日はどういったものが必要でしょう?」
「ふむ、そうじゃのぉ……」
 鷲巣は商品を眺めると、『樫の木の杖』を手に取った。樫の木で作られたシンプルな杖で、太めに作ってあるので重量感たっぷりだ。
「こいつをいただこう」
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
 そして次に、隣の道具担当の店員に話し掛ける。同様に商品を眺め、鷲巣は松明を購入し、今までの道中で拾っていた軽石を売却した。
 店を出ると、鷲巣は早速『樫の木の杖』を自身に装備……するのではなく、赤木に手渡した。
「これは、貴様が装備するのじゃ」
「おいおい、まだ俺は杖が必要なほど歩くのに苦労はしてねぇぜ?」
「馬鹿者っ! これから火山に向かうのじゃぞっ! 相手は炎の属性を持っているやもしれん。その皮手袋で殴るより、杖の方が安全かつ効果的じゃろっ……!」
「ふーん……そんなもんなのか。じゃあ、そうさせてもらうよ」
 地獄に詳しい鷲巣が言うのだ。赤木は素直に従い、『樫の木の杖』を武器として装備した。
 それから、また更にひたすら北へ北へと進み、溶岩の川に掛けられていた橋を渡った先に、火山の麓の洞穴が見えてきた。
 流石は火山の麓、木々に緑は無く、水辺で噴き上がっているのは熱湯だろう湯気が立ち上っている。
 比較的整備された通路を進むと、二匹の鬼が出迎えた。
「おお、鷲巣様。早速いらしたのですねっ!
 山の機嫌は良くなりましたが、山に生息する獄卒までが大人しくなったわけではありません。どうぞ、お気をつけてっ……!」
 二匹の鬼が道を譲り、その間を抜けて火山の中へ入ろうとすると、一匹の鬼がうずくまっていた。
「アチチチ……火傷しちゃったよ~……」
 その鬼は鷲巣に気付くと、砕けた口調で話し掛けてくる。
「あっ、鷲巣様じゃん! こんにちは! これから、ドッカニ火山を登るんですか?」
「うむ。今日は、軽く視察をしようと思ってな」
「そっかそっか~! 山の機嫌はいいみたいだから、視察日和かも!
 でも、中に住んでる獄卒たちの炎の攻撃には気をつけて! 火傷しちゃうよ!
 火山に限ったことじゃないけど、獄卒には“炎をうまく使ってくるやつら”ってのがいるんだよ。
 火傷になっちゃうとね、動きが鈍くなって、敏捷性が下がっちゃうの。『大蛇天印軟膏(オロチナインナンコウ)』で、すぐ治るから、持ってなかったらお店で買ってきてもいいかもね!」
 火傷と炎を使う獄卒について説明する鬼だったが、当の本人が既に火傷を負っているようだ。
「ん~~? 貴様、獄卒なのに獄卒に火傷を負わされたのか?」
「アハハ! アタシのこれはね、溶岩の上で転んだの!」
「注意力散漫じゃのぉ……」
 鬼は笑い飛ばしたが、鷲巣は目を半眼に落として呆れた。
「じゃあ、アタシは共生ニュータウンに帰るよ! 鷲巣様も気をつけてね! バイバーイ!」
 手を振りながら去っていく鬼を見送ってから、赤木がぽつりと呟く。
「お前、鬼に好かれてるんだな」
「図らずも、な」
 さて、いよいよ視察の開始である。まずは、棄てられた炭鉱を通り抜ける。意外に広く、入り組んだ通路を進むと、奥に鉄の扉があって行く手を拒んでいた。手前の壁にはレバーがあり、これを下げることによって扉を開けられるはず、なのだが。
「う~~ん……。すっかり錆び付いておるな……」
「このままで動くかね?」
 何度かレバーを下げようと試みたが、うんともすんとも動かない。やや諦めかけて周囲を見渡した時、ふと右側に看板が立てられていることに気付いた。
『道具は使ったら元の場所に!
 レバーのサビ取り用スプレーは、使ったら箱に戻しましょう。』
 これだ! と二人は同じことを思い付いた。周辺を探し回り、道具入れを見つけると、そこにはサビ取りスプレーがきちんと入っていた。
 ついでに、『安全ヘルメット』と『大蛇天印軟膏(オロチナインナンコウ)』も入手した。鷲巣は、その「安全第一」と書かれた現世でもよく見たヘルメットを頭に装備する。
 そしてレバーの所へと戻って来ると、鷲巣は早速サビ取りスプレーを噴き掛けた。たちまち薬剤が赤い泡に変わっていく。だが、そこで問題が発生した。
「しまったっ……! 拭き取る布がないではないか……。その辺のボロ布で良いじゃろ……。拾いに行ってくるか……」
 とぼとぼと布を探しに行こうとする鷲巣に、赤木が声を投げる。
「めんどくせぇ。服だって布だぜ?」
 言うと、躊躇なく自身の服で赤い泡を拭き取った。既に貰った服ではあるが、扱いが雑過ぎる。
「ほら、これで綺麗になったぜ」
「呆れてものも言えんっ……!」
 額に手を当てて頭を振る鷲巣に、赤木はさも当然のように言ってのける。
「サバイバルに身なりなんか気を遣うかよ。使えるもんは全部使って、問題を解決していかなきゃな」
「それは正論じゃがっ! これはサバイバルではないっ!!」
「いいじゃねぇか。サビも取れたし、これでもうレバーが動かせるだろう」
 今度こそ、レバーはすんなりと下がり、先の方でドアが開く音がした。見てみると、きちんと鉄の扉は開いていた。
 それを良しとして、二人は更に先へ進む。またしても道具箱の中から『安全ヘルメット』を見つけたので、今度は赤木に装備させた。
 途中、何度か地獄の生物たちと出くわしたが、戦闘を重ねていくうちに、鷲巣は新たな攻撃『メッタ打ち』を習得した。
 その後も道具箱を漁りながら進んで行くと、『ボロボロのつるはし』やら『錆びついたスコップ』などを入手したが、鷲巣は『削岩用かなづち』を新たに武器として装備した。振るう時は、周囲に人がいないか確認しよう。
 階段を使って上の階へ上がると、そこはまさしく灼熱地獄であった。目の前が赤く霞そうなほどの熱気が漂っている。
「ふぅ……酷ぇ暑さだな……」
 思わず赤木が小言を漏らすと、鷲巣は平然とした顔で茶々を入れた。
「なんじゃ? 貴様、老いて少し衰えたのではないか?
 なぁに、なんのこれしき。どうせ死にはせん。死ぬほど熱い思いをするだけっ……!
 なんと言っても、わしらはもう死んでおるんじゃからのっ!」
「クク……そういえば、そうだったな……。
 どんなに苦しもうとも、死ねないか……地獄ってのは酷ぇとこだな……フフフ……」
「何を笑っとるんじゃ、気色の悪い……」
 かく言う鷲巣も今し方、この灼熱地獄の現状を笑い飛ばしていたばかりだが、赤木まで笑うところではないだろうと眉をひそめる。
「しかし、だ。いくら死なぬとはいえ、体力を奪われることには間違いない。
 出来るだけ“赤黒くなっているところ”を踏まぬように歩くのが得策じゃなっ」
 よくよく見てみれば、地面にはなんとか歩けそうな部分と、赤黒く燃え滾っている部分とがあった。どちらが安全かは明白だ。
 二人は、だんだんと奥へ進むにつれ暑さが増していく環境と、手強くなっていく地獄の生物たちとの戦闘を繰り返しながら、ようやく最上部へと辿り着いた。運よく“金の記憶水晶”があったので、二人は祈ってその光を浴びた。
 燃え盛る溶岩が湧き出ている開けた場所に出ると、少し離れたところにあるものを赤木が見つける。
「なんだ、ありゃあ? あいつら何をしてるんだ……?」
「知らんっ……! わしに聞くな……!
 どこからどう見ても、岩を食っとるようにしか見えんじゃろ……っ!」
 そこでは、大きな四匹のコウモリが、なぜか岩をガツガツと食べていた。そのあまりの食いっぷりに、赤木は思わず「美味いのか?」と首を傾げる。
「知らんっ……!!」
 鷲巣の大音声にも気付いた様子はなく、コウモリたちは一心不乱に岩を齧っている。
「しかし……やつらが群がっとる岩は、周りの岩と比べて少々種類が違うようじゃ……。
 よし! 蹴散らすぞっ……! ついてこい、赤木っ……!!」
 そこで、なぜそうなるのか。鷲巣の思考回路についていけない赤木は、素直な意見を述べる。
「うーん……面倒だな……」
「文句を言うな馬鹿者っ!」
 耳をつんざくような大音声で、これ以上喚かれるのも面倒なので、「わかった、わかった……」と赤木は、なし崩し的に付き合わされる羽目になった。
「よし……じゃあ……一呼吸で済まそうっ……!!」
 鷲巣と赤木がコウモリたちに近付いていくと、あっという間に取り囲まれて戦闘が始まった。
 コウモリは、よく見るとイワカジリという種類のものだった。通常のコウモリと違い、侮ってはいけない。
「えぇーい! 頭が高ーいっ!!」
 鷲巣は、先手から『メッタ打ち』を繰り出した。一発で済ますほど優しくはない。何度も殴り付けるその様に、慈悲など皆無っ……!
 そして赤木は、得意の『裸単騎の魔法』を自分に掛けた。イワカジリの攻撃に反撃するが、相手は飛んでいる為か上手くダメージを与えられない。そこで、敵単体に氷塊を飛ばす『凍りつかせる』の念術を使った。
「見てな……凍りつかせてやる……!」
 キィン……! と急激に周囲の空気が凍りつき、一体のイワカジリを氷塊が襲う。効果はなかなかのようだ。
 鷲巣は『メッタ打ち』、赤木は『凍りつかせる』を駆使し、イワカジリたちへの教育的指導が完了した。戦利品として、多くの『鋭い牙』や『しなやかな被膜』を入手する。
 一目散にイワカジリたちは飛び去り、やつらが齧っていた岩を見てみると、なにやらテカテカと光っているようだった。
「ふむ……これは……」
「さて、これは何かね……。見ただけでわかるものなのかい?」
「うむ……」
 ここまで付き合わされて、結局「わからん」などと言われたら飛び蹴りでも食らわせてやろうかと思っていた赤木だったが、鷲巣が答える。
「“くろがね”のようだな……。
 精錬すれば、様々なものに加工出来そうではないか……! これは良いものを見つけたぞ!」
 思わぬ収穫に、鷲巣は頬を綻ばせた。
「どれ……少し持ち帰って、『共生ニュータウン』の鍛冶屋に持って行ってみるか。
 使えそうな分を掘り尽くしてから、この炭鉱は完全に埋めてしまおう」
「なんだ……ここ、塞いじまうのか……?」
 もしかしたら、また採掘が出来るかもしれないのに。というかのような赤木の言葉に、鷲巣は説明する。
「うむ。こういう穴は、用が済んだ後に放っておくのは望ましくないんじゃ。
 陥没して山が崩れることも考えられるし、そうでなくても、有毒ガスが溜まったりして中に入った者が死んだりする。まあ、ここの連中は既に死んでおるがの。
 それらを防ぐ為に、監視することに人を割かねばならんのは、コストの無駄っ……!」
 珍しく鷲巣が、自分以外の他のことを危惧するような発言をしたのを、赤木は意外に思ったが、次の発言でそれは杞憂に終わった。
「ここを塞ぎ、安全を確保した暁には、麓に温泉街を作ってやるんじゃっ! クカカカカカッ!」
「へぇ……温泉ねぇ……」
 地獄に落ちた現在でも、鷲巣の領土開拓の野望は潰えることはないらしい。
「生きとった頃も、活火山を観光資源にしている地域があったじゃろ? それと一緒じゃっ……!
 ここの鬼どもは、どうも自分らのいる地獄の資源の価値に気付いておらん。だから、わしが気付かせてやろうというのだっ……!
 そして、ゆくゆくは、地獄全土にわしの名を轟かせてやるんじゃ!! カッカッカッカ!」
 どこまでも私利私欲にまみれた思考の鷲巣を見て、赤木はどこか羨ましそうに呟く。
「楽しそうだな、鷲巣……。ククッ……」
 そして、二人は持っていたつるはしやらスコップやらで“くろがね”を掘り出した。
「よし、一旦山を降りるぞ」
 鷲巣が言って、二人は元来た道を引き返す。けれど、今は使われていないトロッコの線路が放置されている空間で、赤木が不意に立ち止まって周囲を見渡した。
「どうした、急に立ち止まって……。ぎっくり腰にでもなったか?」
「ん……。いや……呼ばれた気が……したんだが……」
 赤木は背を向けて、来た道を凝視する。それに鷲巣も耳を傾けてみるが、何も聴こえない。
「何も聞こえんぞ。
 気のせいじゃろっ! ご覧の通りの、この岩の洞穴……おおかた、風の通る音が声のように聞こえたんじゃろっ!」
「そうだな……それなら、いいんだが……」
 赤木が鷲巣に振り向いた時、二人して、ただならぬ音を聞いた気がした。それはなんとも形容しがたい、獣の呻き声にも似た低く腹の底に響くような、気味の悪い音に、二人して周囲を警戒する。
「う~~ん……風ではなさそうじゃな」
「ああ、そうらしい」
「なんじゃあ? 地獄の動物どもか?」
 また、わずかに呻き声のようなものが聞こえた。それに、鷲巣が提案する。
「クキキっ……! 赤木よ、賭けをせんか?
 わしは、この声の主が“ただの迷子ではない”に1億賭けるぞ」
 突然の賭博に、しかし赤木も喉を鳴らしながら答える。
「ククッ……俺は、吹っ掛けられた賭けはノる主義だけどよ……。俺も、“ただの迷子じゃない”の方に、腕一本……だな」
「か~~っ! それでは賭けにならんではないかっ!」
 両者が差し出すものが釣り合っていないとか、両者が同じ方に賭けたせいだとかではなく、そもそも賭けは成立しなかった。
 なぜなら、二人の間に突如として暗闇が渦巻き、ぼんやりと光る人魂のようなものが現れたからである。
「全くっ……! 次から次へと煩わしいっ……!!
 赤木よ、わかっておるな? 地獄では力が全てっ……!」
「ああ。売られた喧嘩は、買えばいいんだろ?」
 言うやいなや、赤木は身を低くして臨戦態勢に入る。
「カカカッ! 聡明聡明っ!! すっかりわかってきたようじゃのおっ!
 では、大暴れといこうではないかっ!!」
 鷲巣は赤木を引き連れ、なぞの亡者へと立ち向かう。
 なぞの亡者は、青白い光をまといながら、その中にドクロのような顔を浮かび上がらせる。夜中に子供が見たら大泣きしそうな形相だ。
 赤木は自身に『裸単騎の魔法』を掛ける。
「お前は俺に確実に振り込むっ……!」
 赤木の体が光に包まれ、敵の攻撃を先読み出来るようになった。
 その時、なぞの亡者から闇が広がった。二人の目の前を闇が覆う。そんな面妖な攻撃に赤木は反撃が出来ず、結構なダメージを受けてしまった。
「くっ……こりゃあ返せねぇな……!」
「えぇーい! 頭が高ーいっ!!」
 闇をすり抜け、鷲巣が特攻する。『メッタ打ち』でなぞの亡者に攻撃をくれてやると、意外にも効果は抜群のようだ。
 赤木は、受けたダメージをそのまま返すように、念術『凍りつかせる』を使った。
「見てな……凍りつかせてやる……!」
 周囲の空気中の水分が凝固し、なぞの亡者にまとわりつく。氷が弾けると、なぞの亡者は一瞬その光を弱めた。効果はなかなかのようだ。
 二人の攻撃が逆鱗に触れたのか、なぞの亡者は炎をまとった体で突っ込んできた。『裸単騎の魔法』により敵の攻撃を誘発させやすい赤木は、その攻撃に対し反撃に打って出る。よけた姿勢からの攻撃になってしまったので、与えたダメージはそこそこだ。
 なぞの亡者は、今度は闇の波動を放ってきた。なぞの高圧力の衝撃が、二人の体を襲う。
「なっ、なんじゃ、この……っ!!」
「お、重いっ……!」
 鷲巣と赤木は、それぞれかなりのダメージを受けてしまった。このなぞの亡者、なかなかに手強い。
 流石に体力も心許ない。赤木は道中で獲得していた『地獄ガマ油【徳用】』を使った。鷲巣、赤木、それぞれの体力が回復する。
 その隙を突いて、またしてもなぞの亡者から闇が広がり、目の前を闇が覆う。やはりこの攻撃には赤木は反撃することが出来ず、ダメージを受けた上、目の前が真っ暗になり暗黒に閉ざされた。
「くっ……何も見えねぇ……!」
 なぞの亡者の攻撃をかわしこそすれ、反撃は失敗。ダメージを与えることが出来ない。
「これならどうだっ……!!」
 それでも、『凍りつかせる』は有効のようだ。なぞの亡者に確実にダメージを与えていく。
「えぇーい! 頭が高ーいっ!!」
 鷲巣は通常攻撃よりも『メッタ打ち』の方が効果的と判断したのか、何度も何度も武器を振り下ろす。確かに、その大振りな攻撃は着実になぞの亡者へダメージを与えている。
 そんな中での、会心の一打っ……!! 追い討ちをかけるようなその攻撃の前に、なぞの亡者は遂に掻き消えた。
 二人は大量の経験値を得て徳が上がり、鷲巣は新たな技術『脳天幹竹割り』を習得した。
 ようやく一息ついた鷲巣は、荒々しく悪態をつく。
「全くっ! わしも暇ではないというのにっ……!!
 なんなんじゃっ! コイツはっ! わしを誰だと思っておるっ……!!」
 すっかり弱った様子のなぞのは、もう反撃はしてこないようだった。赤木はそれを見ながら、
「こいつも、獄卒……ってやつなのか?」
「知るかっ! 獄卒じゃろうがなかろうが、わしの邪魔をする無礼な奴は叩きのめすんじゃっ!」
 その時、なぞの亡者が最後の足掻きのように不気味な声を発した。
『ア…… ア……アァ……
 ミ…ツケタ……』
 そんな声が聞こえたかと思えば、なぞの亡者の残骸と思われる光る球体が、黒い光を集めながら赤木に纏わりつき――次の瞬間、赤木はその場に崩れるように倒れこんでしまった。
「あぁっ……!?」
 不穏な空気が漂い始める。流石の鷲巣も、突然の事態に状況を理解出来ない。
「な……なんじゃ……今のはっ……!?
 赤木がっ……また死んだっ……!?」
 恐る恐る、ピクリとも動かない赤木に近付いてみる。
「おい……赤木……死んだ……? 死んだっ……?」
 鷲巣は目の前の事態を信じられず、震える手を赤木に差し出す。頬に触れてみると、死人のように冷たい。その事実にますます鷲巣は絶句するが、やがて気を取り直して、
「いやっ……! 赤木がこんなことでくたばらんのは、わしがよ~~~く知っておるっ……!
 こいつは生きている頃から、殺しても殺しても死なん男じゃった……!!
 そうじゃ……! わしらは、そもそも死ぬに死ねぬ存在ではないかっ!!」
 鷲巣は自分に言い聞かせるように叫び、そして閃いた。
「赤木よっ……!! わしは、貴様を担いで山を降りたくはないぞっ……!!」
 殴ったり足蹴にしたりするも、一向に赤木が目を覚ます気配は無い。それに痺れをきらした鷲巣は、
「起きんかっ! 馬鹿者っ!!」
 一喝し、ありとあらゆる暴行で滅多打ちにしても、やはり赤木は目を覚まさない。
「これでも起きぬかっ!! しぶといヤツめっ……!!
 こうなったら奥の手じゃっ……!!」
 だんだんと、ちょっと楽しくなってきたのは言うまい。鷲巣は赤木と距離を取り、遠くから助走を付けての体当たりをぶちかました。
「どうよ? どうよ? 流石に目が覚めたじゃろっ??」
 赤木は暫く沈黙したままだったが、やがて「……ぐっ……」と唸り声を上げた。そして倒れた姿勢のまま、
「目は覚めたが……。今のは……効いたぜ……。本当に死んじまうところだった……」
「キキキっ……! そのような口がきけるのならば、もう大丈夫じゃろっ!
 ほれ! ちゃっちゃと立たんかっ!! さっさと下山するぞっ!」
 あまりの仕打ちに、赤木は当分立ち上がれそうになかった。


序章  胎動

  完

© 2016 by HiOCAY of Site. Proudly created with Wix.com

  • Twitter Social Icon
bottom of page